2016年3月6日日曜日

大学入試、人物重視なのか学力重視なのか

3月6日付け朝日新聞のGLOBEで特集をしていたのが、「入試とエリート」
エリート養成機関として、アメリカのハーバードと日本の東京大学を比較している。
興味ある事項がいくつかあったので書き留める。

おそらく、日本の一部の人が考える新しい入試制度の模範の一つがハーバードであろう。
そのハーバードでは入試のメインとなるAOの選考過程を一切公表しない。また、OB、OGの子息の優遇もある。これには、世代を超えた共同体意識をもたらすと同時に、彼らからの多額の寄付金によって、経済的余裕のない学生の奨学金が得られるという側面もある。

東京大学に数多く進学する灘高校では、東大に進学する合計数自体大きな変化はないが、83年に文系に57名、理系に66名と合格していたのが、昨年は文系28名、理系61名と、明らかに文系が減っている。しかも多くが法学部に進む文1への合格が43人から13人と減った。その原因が、法学部の人気低下、医学部の人気継続と、灘高校もご多分に漏れない。

かつての日本では、大学入試とエリートには確かな結びつきがあった。東大法学部卒の多くが高級官僚になり、その一部が保守政治家と転身した。ところが、現在は一流進学校も医学部志向が強い。医師は優れた専門家であっても、社会を引っ張るエリートとは言い難いでしょう。

日本の入試改革では、ペーパーテストの役割を限定し、米国の一流私大に近い入試を導入しようとしている。だけど何十年かけても、日本の一流大学は米国の私大のようにはなれないでしょう。目指す教育の方向性が違うからです。日本のほとんどの大学は入学時に専門分野が決まり、教養課程は軽視されている。基本的には専門家養成の場であり、人間教育にはあまり関心がありません。指導層としてのエリート養成に重要なのは「どんな入試をするか」よりも「入学してきた若者にどんな教育を施すか」でしょう。

人物主義のハーバードは多様性を目指していますが、選抜される学生は圧倒的に富裕層が多い。大変高い基礎学力も前提になっています。点数主義の東大の学生も高所得家庭の出身が多いが、ハーバードに比べればずっと多様な所得層から入学しています。ハーバードの多様性とは、富裕層と高い学力の上に振り掛けられるスパイスに過ぎないのではないでしょうか。「人物をみる入試」とは実は「本人の努力が届かない、育ってきた環境も含めて人を評価する」という選抜方法だからです。一方、国語や社会など主要教科の学習は、経済格差や家庭文化の影響を最小化し、本人の努力が反映されやすい。それによって世代ごとに階層がある程度シャッフルされ、欧米に比べ平等な社会の実現したのが日本であった。「どんな学生を育てるか」という目標とカリキュラムが定まって初めて「学校の方針に合う入学者をどう選抜するか」という入試の議論が可能となるのです。

長々、いろいろな人の意見をつまみ食いしましたが、個人的には最後の芦田宏直氏の意見がいたって正論だとは思うが・・・

うがった見方をすれば、今進んでいる大学入試改革は、アメリカのご機嫌取りしかできない、日本の某総理のアメリカかぶれから来る気まぐれで、しかも自身は超一流出自にも関わらず、必ずしも一流とはいえない大学に進学せざるを得なかったひがみ根性から進めている政策なのかもしれない。



0 件のコメント:

コメントを投稿