2013年5月28日火曜日

山本周五郎『橋の下』

友人と果し合いをし、友人の婚約者と脱藩して、 貧乏し、乞食をしている老人の言葉。
「あやまちのない人生というやつは味気ないものです、心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗を繰り返したりするのがしぜんです、そうして人間らしく成長するのでしょうが、しなくても済むあやまち、取り返しのつかないあやまちは避けるほうがいい、・・・」

わたくしなどは、これまで何度もつまずいたり、転んだりしているのですが、いまだにつまらない人間のですが・・・まだまだ、人生経験が足らないのでしょう。

ともあれ、頭ではわかってはいても、その失敗をそう思えるほど、まだまだ達観はできないです。

2013年5月22日水曜日

復習が大切

生徒が数学の問題を解いている。
手が止まっている。
少しずつヒントを出しながら、解かせる。
何とか、解けた。
そして、生徒が一言。
「わかったけど、一人じゃできない」

何度、こんな場面を繰り返してきたことか。

「覚えるくらいに復習して、次でてきたときに解けるように覚えるしかない」
と何度となく言ってきた。
しかし、しばらくすると、また同じ生徒が同じような質問を持ってくる。
あるいは、同じような問題が模試であっても解けていない。

一体、私は何を教えているのだろう。と自己嫌悪に陥る瞬間である。

見たことのないような問題を、まったくの自力で解けるような人はそうそういるものではない。
たとえ、難関国立大に合格できるような生徒でも、何とか国立に滑り込めるぐらいの生徒でも、実は、初めて見る問題に対する、わからない問題というのには、大差はない。

違うのは、次同じような問題が出てきたときに、解けるように、しっかり理解し、覚えているかどうかだけの差なのである。

当たり前といえば当たり前のことであるが、このことが大きな差になるのである。

受験生といえど、学校で与えられた(買わされた?)問題集を、解いてみて、わからないことをはっきりさせて、授業に臨み、しっかり復習する。その積み重ねが、志望校合格への一番の近道なのである。これも、本ブログで繰り返してきた。

そこにどう塾が関わっていくのが、生徒にとって一番よいのか?いつも自問しながら、試行錯誤をくり返してきた。

いまだに、「数学はひらめきだ」などとのたまうような天才的な夢見る予備校講師ではダメだし、
学校の授業を無視して、塾の都合で、ひたすら予習を勧めるような塾でもダメだし、
パフォーマンスだけの映像授業しか見せないよう塾でもダメだし、
質問をアルバイトの大学生に任せるような塾でもダメでしょう。

少しずつ、答えは見えてはきているが、まだまだ発展途上ってところ。
今年の受験生に間に合うように、また熟考したい。


2013年5月14日火曜日

『バカ学生に誰がした?-進路指導教員のぶっちゃけ話』を読んで

中公新書ラクレ、新井立夫+石渡嶺司共著

私も職業柄、進路指導教員と話をする機会は多いのですが、進路指導教員の苦労が垣間見れる内容でした。

また、進路指導教員にとっての「迷惑大学」として、京都大学、早慶、上智、ICU、気象大学校があがっている。なぜ「迷惑」なのかは本書を読んでもらうとして、とても同感でした。
さらに「ご都合大学」としてあげられているのは、京都大学医学部人間健康科学科、北海道大水産学部、九州大芸術工学部であり、これまた”なるほど”って感じでした。

最後のほうで、高校の進路指導、キャリア指導について、述べている部分で、

今後の進路指導では、「好きなこと」「やりたいこと」から仕事に結びつけるのではなく、むしろある意味、変化への柔軟性を持たせる指導が必要になっている。・・・しかし、進路未定ならその生徒に考える選択肢を示し、どうしても決まらない、あるいはやってみたいことが複数ある、というのであれば、進路決定を大学に持ち越す。そして、そのことを高校も許す。こういう道筋も検討していくべきだ。

とあって、これも賛成で、わたくしは常日頃から、高校1年の前半で、理系・文系を決めることさえ無理があると思っていて、ましてや、将来の職業まで決めるなんてことは不可能なのではないのだろうか、と思っている。

大体、これまで学校、家族、といった狭い社会しか知らない高校生に、将来を決めろというのが無理な話で、もっともっとゆっくり考える時間を与えればいいのにと思う。どうせ、急いだところで、現在の日本経済では、人手が不足しているわけではないのだから。

ましてや、塾や予備校ごときが、将来の夢ということを大義名分にして、勉強させ、そして親から金をとる。なんてことは、もはや悪徳宗教である。大体が、世の中からもっともずれている塾や予備校の人(もちろん私も含めてだが)に、高校生のキャリア指導なんて、できるわけないじゃないですが。

最近は、どこの塾も予備校も将来のリーダー作りにといって、社会貢献をアピールしているようであるが、塾や予備校に勉強させられるような人物が日本の将来のリーダーだったら、もう日本はダメでしょう。


2013年5月13日月曜日

数学ができるようになること

今週から、高校によっては、定期テストが始まる。
高校1年にとっては、はじめての定期テストである。
中学と違って、数学も英語も国語も2種類のテストがある。
いろいろ、勉強方法に悩むことも多いであろう。

このブログでも何度も取り上げてきたが、どうしたら高校の数学ができるようになるのか?を書きたい。

まずは、学校の授業をよく聞くことがすべての基本である。そのために、事前に予習といっても教科書に軽く目を通し、よくわからないところをはっきりさせておく。そして、授業で習ったことを、あまり日をおかずに、学校の教科傍用問題集で練習する。その際に、わからなかった問題、てこずった問題にはチェックしておく。あとは、試験前に前述のチェックしておいた問題を再度解いて、余裕があれば、学校で購入した参考書(チャートとかニューアクションとかフォーカスとか)の同範囲を解く。これだけすれば、まず8割以上は堅い。

じゃあ、塾なんて通う必要ないじゃんと思われるかもしれない。

その通りです。以上のことが自力で出来たら、数学に関しては塾は不要ですし、これを3年間継続できれば、受験も問題はないでしょう。ただ、唯一の塾の存在価値はというと、学校の問題集をやっていて、わからないところがあったら質問ができやすい。ってところでしょうか。

ただし、その際に解くのがやっとやっとの地元の学生(たとえ医学類の学生であっても)が質問に対応しているような塾では、行く意味はないでしょう。それなら、学校の先生に質問したほうがはるかにいいでしょう。ましてや、学校にまったく対応していないような映像授業をみせるような塾に大枚はたくのは、百害あって一利なしでしょう。

ゆとり世代

今の高校3年生は、よく自虐的に「私ら、どうせ『ゆとり世代』だし・・・」と言う。
マスコミに踊らされているのだろう。

諸悪の根源のように言われる「ゆとり教育」であるが、
果たして、本当にそうなのであろうか?
一体、誰が何を根拠にそう判断するのだろうか?

大体、教育というものの結果なんて、もっと長いスパン、10年、20年で見るべきものであろう。
それが、少しマスコミに騒がれただけで、ちょこちょこ変えてしまうのは、どうなんだろう?

いつの時代でも、「今の若者は」的な批判はある。かくいう私の世代も「新人類」などと言われたものである。そして、今の日本が国際的にみて、劣っているのだとしたら、それは現在社会の中心で活躍している、われわれ「新人類世代」の責任であろうし、そのときの教育、文化の責任であろう。

したがって、「ゆとり教育」の本当の評価は、今の大学生が社会の中枢になる20~30年後でないとできないだろう。

ともあれ、今の高校3年生には軽々と「私ら、どうせ『ゆとり世代』だし・・・」と言ってほしくはないし、ましてや、われわれ大人が軽々しく言うべきでもなかろう。