2017年6月19日月曜日

『応仁の乱』を読んで

中公新書、呉座勇一箸
新書で異例の売り上げということで、読んでみました。
中公新書ということで、少し身構えましたが、
そこは、仮にも史学科卒ですから、かつては中公新書はおろか岩波新書、果ては吉川弘文館の専門書まで読みこなした私ですから、すらすら読めるはず…
ところが、読んでも読んでも終わらない。しかも、「登場人物」の余りの多さに辟易もしながら、わずか300ページ足らずの本にずいぶん手間取りました。

それはともかくとして、内容はというと、「畿内の火薬庫」である大和の興福寺の経覚と尋尊の目からみた、応仁の乱の原因、経過、結果を描きながら、応仁の乱の再評価を試みている。

高校日本史からみれば、奈良時代以降歴史の舞台に登らない奈良を中心に、応仁の乱をとらえていることが新鮮であるのと、関ヶ原の戦いのように対立関係が明快でない応仁の乱の人間関係を事細かに論じている点で、日本史の得意な高校生には興味深く読めるのでなないだろうか。

Minamoto no Yoritomo.jpgなお、尋尊といえば、「大乗院寺社雑事記」の著者であり、高校の日本史では山城の国一揆の史料として教科書にも取り上げられています。

ところで、今回改めて日本史の高校の教科書をみたのであるが、人物の肖像画、人物の写真がほぼ消えたことに、いまさらながらびっくり、我々世代にとってはなじみ深い、右の源頼朝や足利尊氏の肖像画についてはずいぶん前から指摘があって、教科書から消えているとのこと。だからと言って、何から何まで消えなくても、やはり人物は顔がないとその時代のイメージがわかないというか、
覚えにくいとは思う。誰と特定はしないまでも、その時代の
人物のイメージとして、教科書に登場させてほしいものである。

2017年6月5日月曜日

中日荒木選手の2000本安打

中日の荒木選手が2000本安打を達成した。
同球団で言えば、”ミスタードラゴンズ”と呼ばれた立浪選手のようなスターとは言えない、どちらかと言えば”守備の人”というイメージ。

本人の話、かつての落合監督の話、”アライバ”時代の相方、井端選手の話、読んで感動。

自分の能力をよく知ったうえで、いいところはしっかり伸ばすため、そして弱点を克服するために、ともかく練習を続けた結果の2000本安打。

そして、やはり落合元監督の話に特に感動。
「俺が目指したのは相手に点をやらない野球。いつ出るかわからない本塁打より、試合中に1点を防いでくれる守備のほうが、どれだけ計算できたことか。打てなくても勝つ。そういう野球をするために、荒木は不可欠な選手だったんだ」

そのまま勉強にも通ずる話。たまたま解ける難問で得点するより、”ケアレスミス”による失点を防ぐ方が、受験にも成功するというもの。もちろん、社会に出れば、ミスなく仕事をこなすことは、社会人の大前提であることは言うまでもない。

「文武両道」という言葉

「文武両道」という言葉をよくきく。

高校の特徴に、あるいはスポーツの大会でたまたま上位に進出した生徒の学校が進学校であった場合に。

「文武両道」という言葉、語源を調べるとかなり昔にさかのぼるらしい。ただ、日本では何といっても江戸時代の武士に対する言葉がメインであろう。「武道」なのだから。

その江戸時代から150年経過しても、「文武両道」とは違和感を感じるのは私だけだろうか?文はともかく、部活動=武というのがどうもしっくりこない。それに、たかが高校の勉強や部活に「道」というもの・・・
「文部両立」ぐらいでいいと思うのだが。

ある部活動で、たまたま大会にもレギュラーとして出場していて、そこそこ大会での成績もよく、しかも学校の勉強も手をぬかず、最終的には余裕で地元の国立大学を合格する。
そんな、生徒がどこの部活でも一人ぐらいいて、そういう人をして「文武両道」ともてはやされる。そして、後輩にもそれを強要する。

しかし、そういう「文武両道」を実践した生徒も、もしももう少し勉強に手を抜いていたら、部活動の方でもっといい成績を修めていたかもしれない。あるいは、部活動にもう少し手を抜いていたら、別の大学に行っていたかもしれない。要は、どちらかを少しづつ犠牲にしながら、どこかで折り合いをつけながらの「文武両道」でなかったのか。

「個性尊重」の時代。もっとどちらかに振れてもいいのではないだろうか。
「両立」≒「妥協」なのだから。

ともあれ、高校3年生にとって、今日からいよいよ受験勉強の本格開始という生徒も多い。第一志望校の合格目指してがんばってもらいたい。志向館でも個々の生徒とい学校との両立(≠妥協)を目指して、志望校合格までの道筋を話し合っています。また、現在2週間無料体験も募集中です。部活動で「妥協」していた勉強を一気に取り戻したい受験生をお待ちしております。