2012年10月6日土曜日

『置かれた場所で咲きなさい』より

つい先ごろ話題になっていた渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』を読みました。
ノートルダム清心女子大学の学長をつとめた著者だけに、女性向けの話も多いのですが、受験生にもぜひ読んでほしい内容もあって、紹介しようと思います。

以下引用です

ノートルダム清心女子大学にも、自分の本意ではなく、この大学に入学した不本意入学者がいます。その人たちにいう、「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いてください」という言葉は、私自身の経験に裏打ちされているからでしょうか。学生たちの心にも響いて、届いてくれるようです。

結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次から出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。・・・

「置かれたところ」は、つらい立場、理不尽、不条理な仕打ち、憎しみの的である時もあることでしょう。信じていた人の裏切りも、その一つです。・・・

多くのことを胸に納め、花束にして神に捧げるためには、その材料が必要です。ですから、与えられる物事の一つひとつを、ありがたく両手でいただき、自分しか作れない花束にして、笑顔で、神に捧げたいと思っています。

どんなところに置かれても 
花を咲かせる心を 
持ち続けよう。

境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。「現在」というかけがいのない時間を精一杯生きよう。

以上引用終了

第1志望目指して一生懸命がんばっている受験生には何ですが、やはり、第1志望校合格もさることながら、たとえだめだとしても、そこでいかにがんばるかが人生にとって重要なのでしょう。

ところで、先日、志向館の卒業生で教採合格の吉報が届きました。彼は、受験生時代、受ける大学をことごとく落ち続け、唯一偏差値的には低い大学のみに合格して、こちらとしては本当に申し訳なく思っていたのですが、その後、大学では楽しく過ごしているとの便りをきいて、少しはほっとしたものでした。それが、昨日の吉報。まさに「置かれた場所で咲いた」例といえるでしょうか。もちろん、この先にはさらに厳しい場所が待っていると思いますが、ぜひさらに大きな花を咲かせてほしいと思っております。

塾である以上、受験生の第1志望校合格に全精力を尽くすことはもちろんのことであるが、それ以上にその先につながる勉強、心構えを指導できたらよりいいと思う。

ことさらに難関大へ煽りたて、多額の学費をとるような塾にはなりたくないものである。

0 件のコメント:

コメントを投稿