2012年10月29日月曜日

「東大理Ⅲにも受かる7つの法則」(森田敏宏著)より

「東大理Ⅲにも受かる7つの法則」(森田敏宏著,小学館101新書)
を読んで、共感すると同時に、反省すべき点もあったので、紹介したいと思う。

受験において「偏差値」はますます存在感を高めています。学習塾や予備校などの受験産業は、偏差値教育を都合良く利用しています。そして、受験生は偏差値に合わせて自ら限界を設定しているのです。

偏差値を基準にして進路を決めてはいけません。偏差値で自分の進む学校を決めるのは間違っています。

各学校の偏差値というのは、あくまでも過去のデータに基づくものです。昨年までのデータを進学塾や予備校ごとに集計したものにすぎません。ですから、今年受ける人のレベルとは本来関係ないはずです。

受験生全員が、こうした偏差値を基準にして進学先を選ぶと、結果的に同じような学力の人が集まることになります。とすれば、偏差値には、ある学校の学力を平均的なものにする役割が期待されているということなのでしょうか。

本来、大学は勉強するために入学するのですから、偏差値を基準にするのではなく、何を学びたいかを基準として選ぶべきでしょう。

・・・猛省・・・

2012年10月13日土曜日

みかん


今日お昼時に、みかんを食べている予備校生を見かけた。
いや、もうみかんの季節か。
受験生にとってはあせる時期となってきました。

ただ、この時期にはいつも受験生に行っていることであるが、

「あせらず急げ」

矛盾するようですが、
要は、一つ一つ着実にものにしていけということである。


ところで、若い頃には考えもしなかった、旬の果物や野菜というものを意識するようになりました。
これも年のせいだろうか?
何かに書いてあったけど、やはりその人の生活する環境下で育った野菜や果物を食べるのが、体には一番いいのだとか。

けど、みかんは石川産ではないよな・・・

2012年10月12日金曜日

スマホ元年

 今年平成24年を「スマホ元年」とすることには、異論もありそうであるが、
初めて携帯を持つ高校生が、一斉にスマホを持ち、「端末分割」という名目の2年縛りが終わった高校3年生も多くが、スマホに機種変更した。そういう意味で、特に高校生にとっては、今年が「スマホ元年」と言えよう。

街中でも、そして塾内でも、タッチパネルをさわる人が見かけられるようになった。
かつて、私がPDAに始まって、そしてドコモのM1000などというスマホを嬉々として、触っていたころは、その携帯の大きさと、タッチパネルとで、周囲から奇異な目で見られたものであるが、
そのM1000よりはるかに大きなスマホで、しかも多くの人がタッチパネルに触っている姿は、今度は私からみて、奇異な風景である。

ともあれ、今年の高校1年生から、「脱ゆとり」の新指導要領が数学から先行実施されており、学習内容がそれなりに増加した。その1年生に一気にスマホが普及して、通話やメールはもちろん、高速ネットも自由に使え、もちろん無線LANならどんなサイトにもアクセスできるし、ゲームも音楽もなんでもできるスマートな機器が人をスマートでなくさせている。

なんというか、携帯会社の責任もあるのでしょうが、高速回線に積極的に取り組んできた、国の責任もあるでしょう、「脱ゆとり」を掲げながら、一方でスマホの普及に一役買っている。なんか矛盾しているとしか思えない。

ましてや、高校3年の受験生になって、スマホに機種変更して、嬉々として触っている姿を見ると、あきれてしまって、言葉も出ない。

個人の問題といってしまえば、それまでだが、かつてテレビによる「一億総白痴化」などと言われていたが、現代はスマホによる「一億総白痴化」が始まろうとしている。

2012年10月9日火曜日

ノーベル賞

ついにというかようやく山中伸弥教授がノーベル医学生理学賞を受賞した。
昨日から、そのニュースで持ちきりだが、ニュースの端々で聞く山中教授の話は、
周りの人に感謝という言葉で、謙虚さがにじみ出たお話でした。
やはり、その謙虚さが偉大な研究につながっているのであろう。

それは勉強でも同じで、謙虚さがなければ、成績も伸びない。それをわかっていない高校生がどれほど多いことが。

ところで、これまではノーベル賞といえば、日本の受賞は物理、化学といった自然科学分野に多かったのであるが、それはこれまでの日本の科学技術の発展とも無関係ではなく、そしてまた、大学受験における工学・理学人気とも無関係ではあるまい。

それが、現在は将来の、日本の頭脳となるべき人材の多くが医学部に流れている現状を考えると、今後この分野におけるノーベル賞が続くことも、十分想定できるのではなかろうか。

ともあれ、何かと暗いニュースの多い中で、気持ちのいいニュースでした。でも、文学賞では日本人と中国人との争いだとか・・・

2012年10月6日土曜日

『置かれた場所で咲きなさい』より

つい先ごろ話題になっていた渡辺和子著『置かれた場所で咲きなさい』を読みました。
ノートルダム清心女子大学の学長をつとめた著者だけに、女性向けの話も多いのですが、受験生にもぜひ読んでほしい内容もあって、紹介しようと思います。

以下引用です

ノートルダム清心女子大学にも、自分の本意ではなく、この大学に入学した不本意入学者がいます。その人たちにいう、「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いてください」という言葉は、私自身の経験に裏打ちされているからでしょうか。学生たちの心にも響いて、届いてくれるようです。

結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次から出てきます。そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。・・・

「置かれたところ」は、つらい立場、理不尽、不条理な仕打ち、憎しみの的である時もあることでしょう。信じていた人の裏切りも、その一つです。・・・

多くのことを胸に納め、花束にして神に捧げるためには、その材料が必要です。ですから、与えられる物事の一つひとつを、ありがたく両手でいただき、自分しか作れない花束にして、笑顔で、神に捧げたいと思っています。

どんなところに置かれても 
花を咲かせる心を 
持ち続けよう。

境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。「現在」というかけがいのない時間を精一杯生きよう。

以上引用終了

第1志望目指して一生懸命がんばっている受験生には何ですが、やはり、第1志望校合格もさることながら、たとえだめだとしても、そこでいかにがんばるかが人生にとって重要なのでしょう。

ところで、先日、志向館の卒業生で教採合格の吉報が届きました。彼は、受験生時代、受ける大学をことごとく落ち続け、唯一偏差値的には低い大学のみに合格して、こちらとしては本当に申し訳なく思っていたのですが、その後、大学では楽しく過ごしているとの便りをきいて、少しはほっとしたものでした。それが、昨日の吉報。まさに「置かれた場所で咲いた」例といえるでしょうか。もちろん、この先にはさらに厳しい場所が待っていると思いますが、ぜひさらに大きな花を咲かせてほしいと思っております。

塾である以上、受験生の第1志望校合格に全精力を尽くすことはもちろんのことであるが、それ以上にその先につながる勉強、心構えを指導できたらよりいいと思う。

ことさらに難関大へ煽りたて、多額の学費をとるような塾にはなりたくないものである。