2016年7月23日土曜日

高校野球の不祥事について

某県某高校で、部員の喫煙が発覚し、県大会途中にも関わらず、出場を辞退したという。

こういう話の中で、いつも出てくる論調が「教育の一環」という言葉である。

一体全体

甲子園に出場する高校のうち7割近くが私立高校であり、

しかも県の代表と言いながらも、県外の出身者が少なくない。

しかも、甲子園にまで、出てくる野球部員の多くは、果たして高校でしっかり勉強できているのだろうか

朝練があって、夜は遅くまで練習して、その合間の授業は居眠りをして・・・(そうじゃない生徒も多いとは思うが)

甲子園に出場して、勝ち進めれば、将来はプロか有名大学に進学。

そのこと自体は個人的には否定しない。人生野球で勝負できるなら、それはそれでいいことであろう。

問題なのは、それはを教育」などと言うのだろうか?

マスコミが(というか、主催者がマスコミなのであるから当然であるかもしれないが・・・)、「たかが」高校生の部活動の一つの大会を勝手に盛り上げ、勝手に美談に仕立て、そして、今回のような「不祥事」があれば、、これまた徹底的に叩く。

不祥事を起こした生徒が悪いのは勿論であるが、たかが(というと怒られるが)喫煙、これほどまでに騒がなくても、責めを負う高校生の将来の方が心配になってくる。

マスコミが作り上げたかつて甲子園のスターの末路が薬漬けという愚行を、マスコミは全く反省していない。


スマートフォン対応HP

ちまたでは、某ゲームで話題は持ち切りですが、

志向館では、スマートフォン対応のHPも作成しました。

まだまだ発展途上ですが、よろしくお願いします。

2016年7月22日金曜日

数学ができるようになるためrに 5

前回、解説のない学校の受験用の問題集の話をした。
この問題集にしっかり取り組むことが一番なのであるが、

解説ないし、自分でできないと言う。

そこで、どうするか?

青チャート(もしくはフォーカスゴールド)の登場である。
やっぱり基礎からやり直さないとって

でも、よく見てほしい、この参考書、断じて基礎レベルではない。
もちろん、基礎的な問題も網羅されているのだが、なぜか、計算が大変な問題が少なくない。

本当に基礎からというのなら、黄チャートからニューアクションβあたりに取り組めばよいのであるが、やはり巷の評判を気にするのか、あまり乗り気ではない。

そして、もっと言えば、これはあくまでも「参考書」なのであって、「問題集」ではないのである。
本来は、問題集をしていて、わからない問題に出会ったときに調べる参考書のはずである。

まあ、百歩譲って、問題集として使うとしよう。ところが、この青チャート、分厚い。例題が掲載されている冊子と練習問題の解説が掲載されている冊子が分冊になっていて、やたらと重い。そこで、多くの人はどちらか片方だけ持って、ひたすら例題だけやる。しかも、ほとんど書写状態。もしくは問題がついているからといって、別冊の解説のみ持って、これまたほとんど書写状態。どちらにしても、一通り終わっても、全然模試の結果に反映されない。当たり前のことである。これぞ

「チャートの罠」

かつ

「究極の時間の無駄」

である。

じゃあどうすればよいのか。

まず、0から始める(学校で習っていない状態)という人は、必ず教科書から始める。いきなり、青チャートから取り組むのは無謀以外の何物でもない。
次に、青チャートの例題ではなく、下の練習問題(practiceもしくは練習)に取り組む。わからなかったら、すぐに解説を見ずに、上の例題を参照しながら、解く。それでもわからなければ、解説を見る。その際に、決して写すのではなく、必ず、自分で計算して、最後まで答えを出すことである。
で、自力でできなかった問題をチェックしておき、一単元終わった段階で、今度はチェックをつけた練習問題の例題に取り組んでみる。これで、基礎は完璧でしょう。

そんなこと言っても、2分冊とも持ち歩くのは重たいなどと言う人もいるかもしれない。そういう人はそもそも青チャートやる資格はない。

さらに、そんなことしてたら、時間がかかって受験に間に合わないという人もいるかもしれない。そうです、すべての単元をするから時間が足らないのであって、特に苦手な単元を中心に取り組めばよいのであって、そもそも3年のしかも夏すぎから、「青チャート」で基礎からなんて、言うこと自体が間違っている。2年のうちからしとけよ。と言いたい。

よし、基礎はできた。いよいよ、入試に向けての実践だ。

またまた続く。

2016年7月16日土曜日

数学ができるようになるために 3

前回より

今度は受験に向けて

2年の後半になると、学校でもこれまでの数学ⅠAⅡBの復習用に問題集を購入させる。
で、授業では、生徒に解かせてきて、最近はその生徒が解いた解答を印刷して全員に配布する学校も多いようである。

ところが、この問題集、解説が掲載されていない。で、自分の担当の問題ともなると、質問に訪れる生徒は少なくはない。

先生によっては、どこを当てるか予め指定せず、授業の範囲をすべて解いてくるように言うらしい。
で、解けていないととたんに先生の機嫌が悪くなるとか・・・

予習なんだから、わからなければ、わからないでいい。わからないことをはっきりさせることが予習やよ って言うと、

だって、先生怖いし・・・

受験生になっても、誰のために勉強しているんだか・・・

そんな他力本願な勉強しているから、さして効果もないような映像授業や学生バイトしかいないような個別塾にぼったくられるんですよ。

じゃあどうすればいいのか

学校の復習用の問題集を授業までに、解いてみる。最低10分は考えてみる。もちろんわからない場合もあろう。その場合は巻末の解答についているヒントを参照してみる。それでも、わからなければ参考書で類題を探す。それでもわからなければ、そのまま授業で解説をきく。その解説でわからなかったら、先生に質問する。(質問は友達や塾で学生のバイト講師に聞かないほうがよい。ともすると独りよがりな解法を押し付けられることになるから)予習段階でわからなかった問題については、授業後もう一度自分で解いてみる。その際に大切なことは自分で計算して、最後まで答えを出すことである。そこまですれば、その問題は自分のものになっているでしょう。

えーそんな時間かけられないよーって言われるかもしれない。

けど、時間かけただけ、必ず自分のものになるのだし、
板書写して、あとは眺めるだけの勉強していても、たとえ同じ問題でも後で解けない。そんな勉強している方がよっぽど、時間の無駄だと思うのだが・・・

まだ続く。


2016年7月14日木曜日

数学ができるようになるために 2

前回の続き。

学校の授業で板書をしっかり写す。その行為自体は否定するものではないのですが、何もきれいに移す必要はないのであって、あとで見てわかる程度で十分である。それより、しっかり先生の話も聞いて、板書ばかりでなく、先生の言った内容も必要に応じて、記録に残すことのほうが重要である。

実際に、数学が本当に得意な生徒(勝手に得意と思っている勘違い野郎を除く)のノートを見てみるとよい。決してきれいなわけではない。ただ、グラフなり図だけはけっこうきれいに描かれていたりする。

ところが、先にあげた、きれいに板書を写す人の場合、丁寧にノートは書かれてはいるが、あまり意味も考えず、写す作業に専念するあまり、図やグラフは適当というか、ポイントを押さえられていない場合も少なくはない。

これでは、数学ができるようにはならない。

次に、教科傍用問題集であるが、宿題だからといって、何とか期限に間に合わせようと、答えもしくは誰かの解答を丸写し。しかも、学校で指定された必要最低限の問題にしか取り組まない。
まずは、じっくり考えて、わからなければ、巻末の解説でない解答およびヒントを見て、もう一度取り組んでみる。それでもわからなければ、教科書、参考書を見てみる。それでもわからなければ、はじめて誰かにきく。そういうステップを踏めば確実に解ける問題が増えていくのであるが・・・

ところが、そんなことしてたら、提出期限に間に合わないという。

だったら、遅れてでも提出すればいいやん(もちろん早めに着手することが前提ではあるが)と言うと、

だって、先生怖いし・・・

一体誰のために宿題をしているのか・・・

まだ続く。

2016年7月7日木曜日

数学ができるようになるために

数学ができるようになるためには、

これまでも何度もこのブログで考えてきたことであるし、答えは至ってシンプルなのです。

まずは学校の授業をしっかりきいて、
学校の教科傍用問題集で復習し、
定期テスト前にもう一度できなかった問題を解きなおす。
これで、定期テストは8割切ることはないでしょう。

次に、受験に向けて、学校で購入する受験用の問題集を解いて、学校の授業をしっかりきく。
そして、単元ごとにセンターの過去問を解き、解けなかった問題をもう一度解く。そして、受験校の過去問を最低10年分を解く。そして、解けなかった問題をもう一度解く。
これで、センター試験は8割以上は確保し、2次試験でも6割以上は取れて、十分に合格点に達するでしょう。数学に関しては行けない大学はないと断言できます。

ところが、
学校の授業ではしっかり、板書を写し、きれいなノートを作り、
学校で教科傍用問題集の宿題が出されれば、しっかりノートに解いて、提出する。
定期テスト前には、そのノートをながめて復習。
これで、定期テストは何とか半分くらい。

次に受験に向けて、学校で購入する受験用の問題集は解説がないから、自分で解けないといって、巷でいいと言われている”青チャート”に取り組む。例題を解こうとするもわからないから、一生懸命答えを写して、解法を覚えようとする。学校では受験用の問題集がどんどん進むし、たまに自分に当たるので、そこは誰かに質問して、何とか乗り切り、あとは授業でひたすらノートを写しまくる。ところが、なかなかマーク模試の成績が上がらない。そして、そういう人の必ず言う一言が「ケアレスミスで○○点損した」などとのたまう。ただ、記述模試はなぜか偏差値だけはそこそこ良くて、「マークは苦手なんだよね」などと言う。

学校からはやはり模試の見直しが重要だと言われ、過去の模試を引っ張り出してきて、解説を横にして、もう一度解きなおす。ところが、ある程度解法がわかったら、あとは計算だけだからといって、結果だけ写す。
それでも、11月当たりのマーク模試でも結果が出ず、やっぱりセンターの過去問だよなと言って、過去問に取り組む。(それも、塾に置いてある赤本などを利用したりするセコイ輩もいる。私は個人的には赤本の1000円足らずをけちるなと指導はしているのですが・・・)
で、時間を計って、解いて、採点して、一喜一憂する。
そして、必ず言う一言が「追試って難しいですよね」と。で、途中で本試のみ取り組んで、さすがに10年分したからもう大丈夫と言い聞かせて、本番突入。

結果は・・・


ⅠAは何とか6割ぐらいとれて、ⅡBは半分を切ってしまう。

何が違うのか・・・
続・・・




2016年7月3日日曜日

知天命

先日読んだ某小説の会話文より
「あたしに言わせりゃあ、男も女も人生の仕組みがわかるのは七十過ぎてから。六十代なんざ、まだ青臭い若造ですとも。」

孔子によれば、「五十にして天命を知る。六十にして耳順い、七十にして・・・」

私などはまだまだ、考え続けねばならぬ。

そして、発展し続けねばならぬ。

満足が停滞を生み、停滞が衰退につながるのである。