2018年9月3日月曜日

『橋本式国語勉強法』(橋本武 箸、岩波ジュニア新書)

「何が秀才であり凡才なのでしょうか。私は、自分に忠実な生き方のできる人が秀才であり、自分を粗末に扱う人が凡才だと思っています。人間には、なんといっても能力において大なり小なり差のあることは認めざるを得ません。ところが、生まれつきの能力の高さに安心して、努力なしに、たとえば学業成績を上げていても、それはその時だけのもので、長い人生を支える力にならないはずです。これは親譲りの財産の売り食いのようなもので、必ず支えの尽きる時がきます。」
「学業成績はビリの方でも、それが自分の最善の努力によるものなら、その人は、その時自分の置かれた立場において、最善の努力を払うことができるでしょう。人間、普通の能力のさえもっておれば、この努力によって自分を高めていくことができます。学業において効果の上がらなかった努力も、会社経営に素晴らしい効果を上げることができるかもしれません。」
「ですから、学業成績が良くても悪くても、安心もできなければ悲観するにも当たりません。自分を高めるための努力を忘れさえしなければ、あなたの前途は洋々として期して待つべきものがあるでしょう。」

50年にわたり、かの灘高校で教鞭をとられていた著者の言葉だけに重い。

最近、自らの仕事に無力感を感じていたが、力をもらった。少なくとも、ここでいう「努力」のサポート役に徹したいと思う。

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